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廿日市市とモン・サン=ミッシェル 観光友好都市提携、調印式典の様子
宮島・嚴島神社で握手するエリック・ヴァニエ市長と眞野勝弘市長。
宮島表参道商店街で焼きがきを試食するエリック・ヴァニエ市長
調印する両市長

平成21(2009)年5月16日、フランスからエリック・ヴァニエ モン・サン=ミッシェル市長を迎えて、宮島の嚴島神社で、廿日市市とモン・サン=ミッシェルの観光友好都市提携の調印式を行いました。
当日、エリック・ヴァニエ市長は広島市から世界遺産航路で宮島へ。宮島桟橋では、眞野勝弘廿日市市長をはじめ、日仏協会名誉領事、国会・県議会・市議会議員、他地元有志などが出迎えました。
宮島桟橋から調印式典の会場となった嚴島神社まで、両市長は表参道商店街を徒歩で移動。途中、商店街の人や国内外からの観光客、修学旅行で宮島を訪れていた子どもたちと和やかに触れ合いながら、交流を深めました。
大勢の観光客も見守る中で行われた調印式典で、両市長は、互いの観光宣伝を行うこと、共通のテーマに基づいたイベントなどを行い文化交流に務めることなどを盛り込んだ協定書に調印し、今後も連携を強めていくことを約束しました。

廿日市市長 眞野 勝弘(まの かつひろ)

こうして両市が手を結ぶことができたのは廿日市市にとって大きな喜びです。モン・サン=ミッシェルは、フランス国民の誇りであり、ヨーロッパを代表する観光地です。宮島も、今や日本を代表する観光地。お互いが連携を深め、互いの魅力づくりに務めていくことは、双方の観光振興や文化交流に、必ず良い結果となると信じています。これからも、多くの人々に心の豊かさや潤いを与えることのできるまちづくりを目指します。

モン・サン=ミッシェル市長 エリック・ヴァニエ(Eric Vannier)

文化は違えども、千年の歴史を持つお互いの場所が近づいたことに感謝します。国家や民族、文化といったものを超えて、人間の偉大なる歴史への情熱を持って共に証言していきましょう。二つのまちは、世界中のあらゆる場所の中でも、人類の素晴らしさの象徴として輝いています。これから長く続くであろう友好交流の年月を通して、文化、精神性、歴史、文化遺産、環境、食文化など多様なテーマでお互いの場所を結んでいけると信じています。

観光友好都市提携調印書
記念品
調印式当日に、観光友好都市提携を記念して、廿日市市からは「宮島彫りのお盆」が、モン・サン=ミッシェルからは「モン・サン=ミッシェルが描かれた版画」が交換されました。
モン・サン=ミッシェル
モン・サン=ミッシェル(Mont Saint-Michel)。フランス西海岸に浮かぶ小島に築かれた修道院。カトリックの巡礼地の一つであり、1979年にユネスコの世界文化遺産に登録。

モン・サン=ミッシェルは、フランス西部、ノルマンディー地方の湾に浮かぶ小島に築かれた修道院である。
伝説によれば、708年に当時司教だったオベールの夢に大天使ミカエルが現れ、「あの岩山に聖堂を建てよ」と命じたと言う。初めはその言葉を信じず、行動に移さなかったが、3度目に現れたとき、ミカエルがオベールの額に触れて、聖堂を建てるように強く命じた。その言葉を信じたオベールは岩山に小聖堂を建立した、すると、陸続きだったモン・サン=ミッシェルが、一夜にして海に沈み、孤島になったという。
そのときから、モン・サン=ミッシェルは聖地とされて、人々に崇められるようになった。初めは小聖堂だったが、長い年月をかけて増築と崩壊を繰り返し、大きくなっていった。
しかし、英仏が100年戦争に突入すると、修道院は閉鎖され、城塞として利用されることになる。幸いなことに、干満の差と潮流が激しく、敵が侵入するのを防いだため、一度も陥落されることなく、戦時を乗り越えた。
その後、修道院として復活したが、フランス革命後は監獄に転用され、海のバスティーユと恐れられていた。そして、1966年に修道士が戻り、現在の通り、修道院として復活した。
現在では、橋で島に渡れるようになり、年間300万人近い人々がここを訪れる。

フランス観光開発機構オフィシャルサイト

人と神々が共に生きる島 日本三景 Miyajima